評価規準を固定してみる

自分の描いた絵が他人から見てどうなのか。上手いのか下手なのか。美しいのか醜いのか。
なかなか自分では判断できないものです。

楽しく気持ち良く、描きたいものを描き、自分としては結果も上々なのだけど、フェイスブックに載せてみたら評価はイマイチ……いいね!がつかなかった……とか、ちゃちゃっとテキトーに描いたにもかかわらず、あれれ、いいね!が100個も、とか。

または、クライアントから受注した仕事で、修正依頼がきた際に「え、なんで?これ評判良かったんですけど。1000いいね!なんですけど」などと抵抗してみたところで、のれんに腕押しです。
絵には正解がなく、評価はその時々で変わるので、とても厄介です。

作品の方向性が定まらないうちは、特に気をつけなくてはいけません。
いいね!の増減によって作風をコロコロ変えていたのでは、いつまでたっても自分のスタイルが定まりませんからね。

また、絵を習いに学校へ行くと、こんなことが頻発します。
「ダメだデッサンがくるってる!」というA先生に対し「このデフォルメがいい!」というB先生。
どちらを信じてよいのか、戸惑ってしまいますね。

そんなときの対処法としてありがちなのが、「自分にとって良い意見だけを聞き入れればいいんだよ」という考え。
となると上記の場合は「このデフォルメがいい!」というB先生の意見を信じることになりますね。

さて、B先生に褒められ上機嫌になると、デフォルメは更に激しさを増して、もとの形状をとどめないほどグチャグチャな、ただの線のかたまりになりました。すると「お〜ここまでくればばアート!」とA先生は絶賛。いっぽうB先生は「デフォルメが過ぎるダメッ!」と酷評。するとこんどはA先生の意見を採用します。

自分が描きたいものを気持ちよく描き、評価してくれる人の意見だけを取り入れて邁進していくのも良いでしょう。巨大化した自己満足はやがて他者の共感を引き寄せます。

ただ、もし、人の意見を参考にしながら表現を確立していきたいと思うのなら、評価規準を固定してみるのも一考です。

たとえば上記の場合だと、”当分のあいだはB先生のアドバイスにすべて従う”と決めてしまうのです。
たとえ自分の気に入っていた作品が出来たとしても、B先生がダメと言えば即却下。フェイスブックでいいね!が100個ついたしても却下します。
とにかく、徹頭徹尾、B先生の意見に従います。気持ちよく描くのではなく、どうすればB先生に花マルをもらえるか、頭がよじれるくらい考える。工夫して何度もやり直す。

B先生におもねるのではなく、考えるための、創意工夫するためのキッカケをB先生から頂くということです。ですから、じつは相手がA先生であっても構いません。どちらか迷ったときは、先生の作る作品が好みのほうを選んでも良いし、格好いいとか惚れてるとか、そんな理由で選んでも良いでしょう。なんだったら、絵とは関係のない彼女や友達でもよいかもしれません。あちこちの意見を聞いて右往左往するよりも、「あたしこれキライ!」という、一人の揺らぐことのない美的センスを規準にしたほうが、その後の指針になりやすいです。

人間というのは(自分もそうだからよくわかるのですが)他者の意見に翻弄されがちです。
自信作を酷評されたら、そりゃ凹みますよね。手探りで描いたものでも、褒められれば嬉しいですよね。
凹んだとか嬉しいとかいう気分から離れて、どうやったら相手のストライクゾーンに投げ込むことができるか、美的感覚にタッチできるかを、実験のつもりで試行錯誤していくと、意外や意外、自分はこんな球種も隠し持っていたのかと、新たなポテンシャルに気付き、一瞬で相手を虜にすることもできるかもしれません。

そんなことをしたたかに企みつつ、人の評価に耳を傾けてみるのはいかがでしょう。

絵:UDAIJIN





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ABOUTこの記事をかいた人

1965年生まれ。セツ・モードセミナー卒業。1990年より創作活動を開始。 人間の顔をメインモチーフに、様々な表現法を駆使して作品を量産。2003年、バーチャルタレント集団 「キムスネイク」を生み出し、個性的なキャラクターのアニメーションを、テレビ番組やCM、WEB等で発表。 主な仕事:「ベストハウス123」「マツコの知らない世界」「GLAY」「VAMPS」など。 主な受賞:第7回イラストレーション誌「ザ・チョイス」大賞受賞、アヌシー国際アニメーションフェスティバル(2010)など多数。 絵の講師歴25年。 神戸芸術工科大学非常勤講師