快画と快療法


快画とは、人間がもともと持っている創造性を短時間で引き出す描画法です。
誰でも自動的に描けてしまう簡単な方法なので、絵が苦手という方もすぐに体得できます。

快療法とは、演劇の演出家であり鍼灸師の瓜生良介氏が体系立てた「快医学」をもとに、誰でも取り組める簡単なやり方で、いのち本然の自由な欲求を引き出し、体のバランスを整える健康法です。

快か不快か

歳をとると、いままで別々だと思っていたことが実は同じようなものだったと気づく機会が多くなります。
善と悪。表と裏。好きと嫌い。などなど。
体調の良し悪しを気にしなくなってきた。だって生きてるし。とか。
人の好き嫌いがなくなってきた。だって同じ人間だし。とか。

同じものというか、表裏一体ゆえ、何時またコロンとひっくり返るか予測などできるはずもなく、ある日突然コロンとなっても、「まあ、どっちも同じようなものだしね」というかんじ。

性善説という言葉は、「人間の本性は善でできてるのだからそれを信じよう」という意味と誤解されがちですが、本来は「人間はもともと善でできているが成長するにつれ悪行を働くもの」であり、性悪説もまた、「人間の本性は悪だから信じるな」ではなく、「もともと悪だがのちに善行を学ぶ」となります。

「ほんとうはいい奴だと思っていたのにー」とキーキー怒ってみたり、「イヤな奴だと思ってたけど、ほんとうはいい人なんだー」と手のひら返してなびいてみたり。
いやいや、ほんとうなんてないし、どっちもほんとう。天気みたいなもの。

絵を描く行為は、あったこっち自由にコロンコロンと行き来できるところが面白いです。
性善説、性悪説、どちらも絵のなかでやれる。しかも誰にも迷惑がかからない。

善も悪もない。表も裏もない。好きも嫌いもない、となると、残るはなにか。
私はそれが「快か不快か」であるような気がしています。
善悪、表裏、好き嫌いは、時代や立場によって変化するものですが、快不快は、それこそ人間の本性に根ざした不動の判断基準になるのではないか。

絵を描くなどの創造的アプローチを繰り返すことは、快を探求する行為でもあり、また、快をベースに身体の調子を整えていく快療法は、創造的行為でもあるのではないか、などという気づきをもとに、今後はこの二つを絡めた展開をしていきたいです。

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来たる11月4日(日)に東京・神楽坂で「快療法入門講座」を開催します。
開催日:2018年11月4日(月祝)
時間:11:00〜16:00
参加費:4000円(食事付き)+ テキスト代(1940円)※当日清算
講師:大沢清(快療法の里ウリウ・スタッフ)
募集人数:5名
会場:快療法の里ウリウ(神楽坂)

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ABOUTこの記事をかいた人

1965年生まれ。セツ・モードセミナー卒業。1990年より創作活動を開始。 人間の顔をメインモチーフに、様々な表現法を駆使して作品を量産。2003年、バーチャルタレント集団 「キムスネイク」を生み出し、個性的なキャラクターのアニメーションを、テレビ番組やCM、WEB等で発表。 主な仕事:「ベストハウス123」「マツコの知らない世界」「GLAY」「VAMPS」など。 主な受賞:第7回イラストレーション誌「ザ・チョイス」大賞受賞、アヌシー国際アニメーションフェスティバル(2010)など多数。 絵の講師歴25年。 神戸芸術工科大学非常勤講師