先週の金曜日は大阪で快画塾を開催しました。
受講いただいたTさん(女性)のドローイングが素晴らしかったので、快画術のプロセスと合わせてご紹介します。
1枚目。
私からは何も説明せずに、まずは描いてもらいます。制限時間は10分。
注意点としては、故意にデフォルメをせず、モデルをよく見て、似顔絵を描く意識で取り組みます。
(写真の撮り方がマズくて影が出来てしまいました。あしからず)
ここで、1枚目の絵が、どういうプロセスを経て生まれたのか。描き手の、目と、手と、脳が、どのように作用して描かれたものなのかを解説します。
そして2枚目。
「線を引くときに紙を見てはいけない」という禁止事項を設けます。時間は10分。
3枚目。
2枚目と同じ要領で、紙を見ないで描きます。1、2枚目は鉛筆を使いましたが、こんどはマジックで描きます。間違えても消せません。制限時間6分。
さて、この3枚、どうでしょうか。
注目してほしいのは、アプローチを変えることによって、たった3枚でここまで絵が変わるということです。
3枚目の絵は力強い線でビシッと描かれていますが、これを見た人のなかには、「よく下描きもしないで、こんなに思い切りよく描けるものだ」と感心したり、「きっと普段からたくさん描いていて、描き慣れているに違いない」と思う人もいるでしょう。
しかし、Tさんは、「思い切りよく描こう」という意識で描いていませんし、描き慣れているわけでもありません。言われた通りにやったら「自動的に」こうなっただけなのです。
快画塾は、もうかれこれ30回くらい開催してきましたが、絵の経験にかかわらず、ほぼ全員が、例外なく、講座が終わるころにはビシッ!と描けるようになっています。
その様子を目のあたりにして私が解ったのは、「ものを素直に見る術」や「習慣を捨てる術」や「上手く描きたいという欲求を捨てる術」を習得することによって、いとも簡単に絵を生み出せるということです。
上手く描こう、似せて描こうと意識して描いた絵よりも、上手く描けてしまったり、似せて描けてしまったりという結果になったりするのです。とても面白い現象です。
「あれ、描けちゃった」なんて言いながら、どんどん快画が生み出される光景を見ていると、やはり、絵を描くことは人間にもともと備わった本能なのだなあ、と思わずにいられません。
快画術によって出来上がった絵は、作品としての善し悪しを判断するものではありませんが、それでも、たまたま傑作が出来てしまうこともあります。しかし、そのプロセスがあまりに自動的なために、ほとんどの場合、描いた当人に傑作が出来たという自覚がありません。
これは余談になりますが、どうも絵を鑑賞する人の多くは、制作に費やした時間=絵の価値と思う傾向があるようです。私もよく「これ一枚描くのにどれくらい時間かかりましたか」と聞かれます(もう100回くらい聞かれたかな笑)。
今回ご紹介したTさんのアンケートに、「描いていてとても楽しかったのですが、作品としてひとつの絵にしていく方法がわかりません」と書かれていたので、私からひとつ提案をしてみたいと思います。
たとえば、今回の3枚目に着色してみたらどうでしょうか。
フォトショップで色をつけてみました(影の付け方が曖昧ですが容赦ください)。
もしもこれが何かの雑誌に挿絵として使用されていて、「キャリア20年のプロが描いた」と聞いても納得するでしょう。少なくとも「なにこれ素人みたい」と言う人はいないと思います。
絵での作品展開を考えたときに、画力向上の努力をするのは勿論正攻法として有効だとは思いますが、偶然(または快画のように自動的に)生まれたものに何か要素を付け加えてみるのも、試してみる価値はあると思います。
絵は、描いて終わりにすることもできますし、そこから更に面白いものにしようと試行すれば、作品としての存在感を示すことも可能になるでしょう。
要するに、「巧く描く」という腕前以外にも、ものの見方や頭の使い方次第で、いくらでも傑作を生み出す可能性はあるということです。
なぜなら、もともと人間には絵を描く天賦の才が備わっているのですから!