燐寸(マッチ)メーカー大手である兼松日産農業株式会社が、機械の老朽化のため、来年3月に工場を閉鎖しマッチ製造事業から撤退するという記事が新聞で掲載された。
同社が運営するマッチ愛好家のための燐寸倶楽部も年内で解散することがサイトの冒頭に書かれてあった。このサイトによると、マッチの歴史は1827年のイギリスから始まり、日本で製造が本格的に開始されたのは1887年(明治20年)、スウェーデン、アメリカと並び日本は世界三大マッチ製造国だった。
真ん中にツバメ、赤色のクラシックな絵柄のマッチ箱を見て、懐かしいと思われる方々も多いかもしれない。時代を感じるレトロな色の組み合わせが絶妙だと感じる。
このような魅力的な絵柄が非常に多いことにも理由があり、独創的で美しいラベルは製造の品質を表すための重要な役割をもち、国内外で信頼を得るためのデザインであった。一方で、安価で粗悪な製品がラベルを模倣し市場を混乱させた。そのため明治17年ラベルの商標登録がされるようになった。兼松日産農業の前身の会社でも、最盛期には1000種のデザインが商標登録されていたそうだ。そのうちの120点が、復刻版として今もよく見かけるマッチ箱である。
(今のようにマッチ箱にデザインが印刷されていたのではなく、昔は、印刷したものを箱に貼っていたためにラベルという)
マッチをするときの音やあの独特な香りは、家族で誕生日のお祝いをするとき、ケーキのロウソクに火を灯し消す瞬間、祖父母の家の仏壇の配置など、過去の記憶を鮮明に思い出す。初めて学校で、マッチの使い方を習ったのは理科の時間で、アルコールランプに火をつけるときだった。手前、奥どちらにするかは状況によりけりだが、他のマッチ棒に火が燃え移らないよう、マッチの頭と反対方向にすることを習い、今も頭の向きを何度も確認する癖がある。
工場の閉鎖後も主力商品は他社に引き継がれるということだが、国内のマッチメーカー3社とも、機械や設備の老朽化のため存続は難しいと言われている。安価なライターなどマッチに替わる製品はあるが、寂しいと感じるマッチ愛用者は多いようだ。
マッチ箱に関連して、下記の絵本を紹介する。
マッチ箱日記
『マッチ箱日記』
文/ポール・フライシュマン
絵/バグラム・イバトゥーリン
訳/島式子 島玲子
出版社/ BL出版(2013年)
<あらすじ>
「『にっき』ってなに?」「起こったことを書いておくんだよ。でも、ひいじいちゃんは、読むことも書くこともできなかった。だからマッチ箱にその日の思い出を入れることにしたのさ。」イタリアで生まれた少年は、やがて移民として家族でアメリカにわたる。父との再会、仕事を求めアメリカを転々とし、働きに働いた思い出。やがて家族の希望を背負って学校へ行き…。マッチ箱の日記をひもときながら、ひいじいちゃんがひ孫に半生を語ります。
第一印象は、苦労と頑張って継続した先の幸福話といったところだろうが、これを単純にサクセスストーリーと言ってしまっていいのか。貧困・格差問題、移民・差別問題、教育問題など、昨今、現代社会で問題になっていることがかかれているため、絵本のテーマとしてどこに着目するのか、悩ましいところである。
興味深かったのは、モノに記録するということである。文字で記録する日記は、馴染み深く、夏休みの宿題の絵日記や一度も日記を書いたことがないという人はおそらくいないだろう。過去に書いた日記を読み返すと気恥ずかしく捨てたくなるが、モノであれば、その人だけが知ることの出来る特別なものになり、誰かに見られたときの気まずさがないのがいいと個人的に思った。
カメラで写真を撮り現像しアルバムを作っていたのは、どのくらいの世代だろうか。今や画像も動画も保存しどこからでもアクセスし、見ることも出来るのは当たり前になった。保存するという方法も、断舎利やミニマリストといった、モノを減らしすっきりした生活と同じように、コンパクト化している。モノとしての質感、月日が加わったボロボロ感、匂いなど、視覚以外の感覚がそういった便利さによって 若干奪われてしまっているのかもしれない。
最後のページに、女の子が飛行機か電車のなかで チョコレートの空き箱に入れられた活版の活字やバッチを触っている様子が描かれている。おそらく ひいじいさんからもらったものであろう。 モノの記録も引き継ぎ可能であることも興味深かった。
この絵本は、2014年の読書感想文全国コンクールの高学年(小学校5,6年生)の課題図書だったそうだ。この絵本を読んだ後、着目するところに迷ったので、読書感想文を書くには苦労しそうだ。
一つ言えることは、 繰り返し読むと視点が変わり気付くことがあるので、何度も読むことをオススメする。またマッチ箱という小さな引き出しのなかに日常の欠片を入れる、実際に体験してみることが良いように思う。
マッチ箱という小さな空間に入れられるものは、大きさを選ぶが、切ったり、丸めたり、折ったりするこができるので、箱よりも遥かに大きなものを入れることが出来る魅力を感じた。
半世紀前の日本で、実際にあったマッチ箱日記
半世紀前の日本で、マッチ箱日記をしていた人がおり、持ち主を探しているという記事をネット上で見つけた。テレビ番組の協力もあり、持ち主である作者を見つけることが出来たという素敵な話である。
日記は書いた人の日常の記録が主な目的だが、平安時代に書かれた更科日記や土佐日記などのように、その時代がどんな時代だったのか知る資料として、古典文学としての魅力のみならず、書かれた人物について思いめぐらす面白さがあると感じた。
妄想マッチ箱日記
皆さまに無記名でマッチ箱日記を作っていただき、それをもとに二次創作を行った。
ご協力、ありがとうございました。
「朝6時」
スマホのアラームで一日が始まる。朝食と合わせてお弁当作りにも慣れてきた。出汁巻卵、タコさんウィンナーは得意で、上手く巻けたり、可愛く出来るとその日のテンションが上がる。仕事でミスって報告書を書かないといけなくてもお弁当を食べているときは幸せ。
「一杯のコーヒー」
今年の秋は雨が多かった。雨の日はカフェで一杯のコーヒーを頼んで、買ったばかりの本を読むか、自宅で大好きなジャズを聴きながらクロスステッチをしてまったり過ごす。途中、眠くなってしまうので、本もクロスステッチもなかなか進まない、雨の日のジレンマである。
「逃避」
大好きミュージシャンのライブに参加して、会場で全身の血が沸き立つような感覚を覚えても、ハロウィンで普段は着ないようなコスプレをして、友達とワイワイ騒いで楽しい日も私はどこか別世界に逃げているような気持ちがするのは何故だろう。
「思い出」
小学生の頃が一番楽しかった。近所の友達とクワガタをとったり、川でザリガニを取ったり、遊んでいた記憶しかない。
遊び疲れたら、さとう駄菓子屋に行って、お小遣いの100円内で買えるさくらんぼ餅やきなこ棒を買って食べたものだ。さとうのおばちゃんはいつもおまけしてくれた。
当時の私にとって100円は大金で、100円のガチャガチャは冒険魂をくすぐった。
欲しいものがでるように祈るが、いつも微妙だった。いらないのがでたら弟に押しつけて、まあまあだったら宝箱のなかにしまった。
「置いてきたもの」
大学進学を機に上京したのは19歳のときだった。大学まで自転車で20分、商店街もあって便利だった。ボンジュール・ボンというパン屋にはよく通った。お気に入りはバゲットのサンドウィッチ。
10年親しんだ街だが、来週引っ越す。荷物はすべて段ボールに詰め終った。不要になったものは処分することにした。財布にしまっていたパン屋のカードは、誰かに使ってもらおうと、マッチ箱に入れて、大学の掲示板の前に置いてきた。
「自分スタイル」
同年代が好むようなお洒落なファッション雑誌を見ても、何か物足りない、自分のスタイルが欲しい。阿佐ヶ谷の古着屋さんで購入したお気に入りの70年代の花柄のワンピース。
その時代に着ていらした方の思い出の上に今というときを上書きして、今日の私も私らしくありたい。
「落ちないシミ」
ペンケースには、黒、赤、青、緑のボールペン、筆ペン、修正液、マジックが入っている。
黒い液体が滲みでてきた。もしかして…恐る恐るあけてみたら筆ペンのキャップが取れ、中の墨液が飛び出し、全部真っ黒だった。とりあえず洗って乾かしておくことにした。
「ささくれがひりひりする」
昔は春が好きだった。まとわりつく風が心地よかった。今は秋の冷たい風が頬を通り過ぎると人に撫でられているように感じる。
文化祭の季節になると学生時代の友人Aを思い出す。能天気で大ざっぱだが、描く絵はカラフルな色合いでAらしくて、羨ましかった。
「あの世とこの世を行き来する男」
名前は浜田五郎という。この男、不思議な力をもち左手の人差し指でモノに触れると、
光線が飛び出し、モノの持ち主がいる世界に行き来できる。今日は何に触れようか…