快画誕生
私はこの快画を、誰に教わったわけでもなく、また、熟考を重ねてひねり出したわけでもなく、いま思い返してみても、どうして出来上がったのかわからないのですが、たぶん、これまで自分がやってきたことや、見たもの聞いたものが自然に組み合わさって、自然に生まれたのだと思います。
快現象
自分にとって当たり前のことを、自分以外の人にわかってもらえるか、伝えることができるか、まったくもってわからなかったのですが、やりはじめてみたら、私の予想をはるかに超える快作が続出し、逆に「なんでみんな描けてしまうのだろう?」と不思議に思うくらいでした。怪現象ならぬ快現象ですね笑。
快のスイッチ
ところが回を重ねるうちに、だんだんとそのカラクリがわかってきました。
どうやら人間には快の状態(つまりは「無」)に入るためのスイッチがあって、ひとたびスイッチオンで快の領域に入ると、いとも簡単に活き活きとした絵が描けてしまう。いや、描けてしまうというより、勝手に生まれ出る。
「うまく描きたい」とか「下手で恥ずかしい」という「我」を捨てると、純粋な「画」がポンッと生まれる。
そしておもしろいことに、その「画」のなかには、誰が見ても「この人が描いた」とわかる「我」がちゃんと表れているのです。
一体どういうことでしょう。これが「真我」というやつでしょうか。
人によりタイミングの違いはあれど、みんさん、ある段階でパーッと表情が明るくなり、大胆不敵な絵(笑)になるので、「あ、いまスイッチが入ったな」とわかります。
絵を描くことは人間の本能
ほんとうに、ほぼ例外なく、快作が生まれるものだから、とうとう私は「絵を描くことは人間の本能である」と確信しました。
絵の描き方は、練習して身につける方法と、観念や執着を捨てて思い出す方法があるということを、快画を通じてわかりました。
ご存知のとおり、学校の美術教育は前者一辺倒なので、カウンターとしてこれからますます快画を広めていこうと鼻息を荒くしております。