アートスピリット【自分劇場】

ART SPIRIT CLASS【自分劇場】についての解説です。

アートスピリットについて

アートスピリットとは、私なりに訳すと「美的精神」でしょうか。美術的精神でも芸術的精神でもいいのですが、美的精神のほうが語呂がいいので。

美的精神について、教室をはじめたばかりの2014年に書いたブログ記事があります。
http://flyingdragon.me/bitekiseishin/

「美的精神とは何か。僕が思うに、無邪気さ、素直さ、誠実さ、楽しい、気持ちいい、と感じる心」

課題に使用した伊丹万作のエッセイを読み、美的精神という言葉を思いつきました。そして、この記事を書いたのちに一冊の本の存在を知ります。

美は物質ではない。美は模倣ではない。美は見る者の心に生まれた快楽の感覚である。

美しい物があるわけではない。だが、すべての物は、それを見て快感を起こすような、感受性と想像力にあふれた心がやってくるのを待っている。それが美である。

ロバートヘンライ著『アート・スピリット』

そうそう!

私はよく講座のなかで「絶景」の話をします。絶景と呼ばれる景色は、景色そのものが美しいのではなく、絶景を眺める人の心が美しいと感じているのだと。

絵の勉強となると、どうしても「描く技術」を向上させることに目が行ってしまい、また、成果の指標も、出来上がった絵が上手く描けているか否かで判断されがちです。それも勉強法の一つに違いありませんが、もっと、美的精神を育むことを目的とした取り組み方があっても良いのではないかと私は思うのです。

紙に絵の具を塗りたくりながら、あふれる感受性と想像力でもって「絶景」が現れる瞬間を捉える。そして「わあキレイ!」という快感がわき起こる。

これこそが美的精神の発動であり、人から教わったものではない、独自の美の誕生なのだと思います。

こんどの新しいクラスでは、参加メンバーそれぞれの美的精神を掘り起こし、「私にとっての絶景」を伝え合う場にしたいです。

新しい自分について

たぶん、多くの人にとっての最大の関心事は「自分」だと思います。そしてそのほとんどが、頭のなかに「自分とはこういう人間だ」という自分像があると思います。たとえば「私は人見知りで神経質で陰鬱」みたいな。

そして、こういった自分像をジャッジする自分もいたりします。「私は人見知りで神経質で陰鬱でダメな自分」みたいな。

さらに理想の自分像に思いを馳せる自分もいます。「人見知りで神経質で陰鬱でダメな自分をなんとかしたい、新しく生まれ変わりたい」みたいな。

こうして、自分探しの旅は続いていく……。

ART SPIRIT CLASS【自分劇場】クラスでも「新しい自分になる」をテーマに掲げていますが、上記の自分探しの旅とはアプローチが異なります。

まず、これまでの常識、価値観、観念をリセットします。

「自分とはこういう人間だ」
「自分はこうでなければいけない」
「自分はこうなりたい」
など。

言い換えると、これまでの自分への関心から離れる感じでしょうか。

つぎに、創造的視点からの自己探求。

なぜ私はこの絵を描いたのだろうか?
なぜここにこの色を塗ったのだろう?
私の中のどんな特性が
これらの表現に起因しているのだろう?

たとえば、「この微妙な色合いは、繊細(神経質)な自分の特性によって生まれたのかもしれない」とか。

常識、価値観、観念をリセットして、作品制作のための素材という視点で自身の特性を探求していきます。

このように、これまでの「自分」から離れて、アートを通して自己を探求していくことにより新しい自分の概念が出来上がるのだろうと思います。

自己改革というと、どうしても、欠点を改善するとか、前向きになるとか、ポジティブな方向への転換をイメージしがちですが、「それって本当に欠点なんだろうか?」「後向きのままで発見できることはないだろうか?」と、そんな視点で眺めてみるのも、新しい発見に繋がると思います。

このあたりについて、5年前のブログにも書いてますので、ぜひ読んでみてください。
http://flyingdragon.me/kosei/

プレゼン+合評会の威力

2020年10月にスタートしたART SPIRIT CLASS【自分劇場】は、これまで木村創作教室のワークショップではやったことのない、プレゼンと合評会を中心としたクラスになります。

私の通っていたセツ・モードセミナーでは、技術的なことは何も教わりませんでしたが、それでもどんどん絵が描けるようになったのは、合評会があったお陰だと思っています。

合評会では、描いた絵を教室の壁に貼り付けて、先生が一枚ずつ講評していきます。
何が綺麗で、何が傑作なのか。合評会が繰り返されるなかで、美意識が育ち、客観性が生まれ、構図や配色のことが自然にわかってきます。

私は神戸の芸術大学の非常勤講師として、約10年前からコラージュの授業を担当してきましたが、はじめの数年間は、全5回の授業のうちの4回を実習の時間とし、最終日に合評会をやっていました。やはり合評会はとても有意義な時間となるのですが、それに比べて、それまでの4回の授業が非常に勿体ないのです。

学生達が黙々と作品を制作しているあいだ、講師の私は黙って制作風景を眺め、たまに歩き回って様子を見たり質問に答えたり。東京から新幹線で3時間かけて赴いて、ただ制作風景を眺めているだけの授業とは、まったくもって勿体ない。どうにかならないものかと考えた末に思いついたのが「毎回合評」でした。作品制作は各自家で行い、授業日をすべて合評会としました。

学生一人ひとりの特徴を知りたかったので、合評の前に、自作について語るプレゼンコーナーもつけ加えました。すると、これがすごく盛り上がり、回を追うごとにヒートアップ。

作品とプレゼンと合評を通じてそれぞれの個性が浮き彫りになり、クラス全員がその個性を認め合い、面白がる。いままで見えなかったその人の意外な一面が作品の中からひょっこり現れる。その瞬間をみんなで共有し、喜び合う。

このスタイルで授業をやるようになってから、学生たちは毎回キラキラした目をして、前のめりで参加するようになりました。そして全5回の授業の最終日には、「こんなに楽しい授業を受けたのは生まれてはじめてです」という内容の手紙をたくさんもらいました。私自身も楽しく充実した時間でありました。

この授業をやって改めて感じたのは、技術の向上よりも、まずは個々に内在するユニークさを引き出すことが先決であり、客観性と共にそのユニークさを自覚できれば、それは彼らにとって心強い道標になるのではないか、ということです。

セツで体験した合評会。そして大学の授業で行ったプレゼン+合評会。これらの威力を確信していることもあり、いつか自分の教室でやってみたいと考えていました。それが、ART SPIRIT CLASS「自分劇場」です。

「プレゼン+合評会」について以前書いた教室のブログ記事がありますのでリンクをはっておきます。

「神戸芸術工科大学1年生のコラージュ作品」(2016.11.14)
http://flyingdragon.me/kobe_collage/

「神戸芸術工科大学1年生コラージュ」(2017.11.23)
http://flyingdragon.me/geikoudai/

自分の好みを知る


美術の研究は広く世間に伝えられるべきである。あらゆる個人は、自分自身の個性について学び、最終的には自分の好みを知るべきである。

自らの快感を育て、その感覚を他の人々に向けて最も直接的に表現できる手段を探求し、発見すべきである。それによって、大勢の人々が同じような快感を得られるように。

つまるところ、美術とは言語の延長である。言葉では表現しにくい微妙な感覚を伝えるものなのだ。

ロバートヘンライ著『アート・スピリット』

うーむ、スバラシイ。

ART SPIRIT CLASS『自分劇場』はまさに、創作行為や作品を通して自分自身の個性について学び、自分の好みを知ることを目的としています。

さらに「これが好きでたまらん!」という言葉にしにくい微妙な自身の感覚を広く世間に伝えるべく、自分らしい表現手段を探求していこう!というのがネライです。