
Painting : Chie Yamaguchi
ハードディスクを整理していたら、19年前(1999年)に自分のホームページに載せていた興味深いテキストを発見したので再掲します。
私は、快画塾をやり続けるなかで「人間にはもともと絵を描く能力が備わっている」という考えに至ったつもりでいましたが、じつは、ずっと前からそんなことを考えており、その考えをもとに生み出したのが快画塾だということが判明しました。
ここに書いてあることについては、今もまったく同じ考えであり、木村創作教室が目指す方向も、まさにこの文章の通りなので、是非読んでみてください。
子供の絵について(1999年12月27日)
子供の絵が好きです。子供は、上手に描こうなどと考えず、ただただ無邪気に描きます。それでいて、色のバランスとか、構図がバッチリ決まってる。何故でしょう。
僕が思うに、人間には元来そのような才能が備わっているんじゃないでしょうか。美を嗅ぎ分ける、美をキャッチする才能が。いや、才能というより本能ですね。あたりまえに美しい絵を描く本能。
それが成長するにつれどんどん鈍くなり、キャッチできなくなってしまう。鈍くなるだけじゃなく、ヘンテコな美意識を刷り込まれていく。そして頭でっかちな、スカスカな絵を描くようになっちゃう。
子供は努力しません。描きたいときに描きたいものだけを描きます。失敗も成功もありません。
僕は、娘が絵を描くようになってからずっと、「色を塗るとき、線からはみだしても気にすんな。どんどんはみ出しなさい」とアドバイスしていました。しかし、そんな努力もむなしく、だんだんはみ出しを気にするようになり、5歳になった現在は、小さくまとまりつつあります。もう誰にも止められません。
しかし、もともといい絵が描けるのが本能なら、そうやって、「きれいに塗りたい」という想いの出現も、進化しようとする人間の本能なのでしょう。「うまくなりたい」というのも自然な感情です。
だから最近は「はみ出さなくても気にすんな」とアドバイスしてます。年相応の素直な描き方があるのですから、「こういうふうに描きなさい」という言い方は絶対にいけません。
よく「子供のような」絵を描く大人がいます。無邪気ぶった絵。純粋ぶった絵。でも「ぶった絵」に力はありません。子供のように描くのではなく、子供の気持ちで描かないとダメです。
「子供の気持ち」とは「自由な気持ち」ということです。子供はどこまでも自由です。なんの努力もなく、傑作を生み出します。
私たち大人が子供と同じように、自由に絵を描くためには、ちょっとした努力(というか知恵)が必要だと僕は思います。どうしたって、大人になるといろいろ考えちゃいますからね。
頭でいろいろ考えている間は、自由になれません。何も考えない状態にもっていくための努力。これが大変です。「考えないために考える」ということですから。でもこれは避けられません。やらなきゃいけないことです。
そんなこと考えないでも、なんの努力もなしに子供のように無垢な絵を描ける人もいるでしょう。それはもう天才です。ただ感心するしかありません。
なぜ僕が子供のように無邪気に絵を描きたいかというと、気持ちよくなりたいとか、自由になりたいとか、そんなことが目的ではありません。「もっといい絵が描きたい」というオトナの目的からです。気持ちよくならないと、自由にならないと、もっといい絵は描けないと思っています。
僕はもともと自分に備わっている「絵を描く本能」がどの程度のもんなのか、興味があります。そして「力をつける」ということは「力を思いだす」ということだと真剣に思います。かなり矛盾を含んだ言い方ですけど。
力を思い出すために力をつける。ブッ壊すために積み上げる。もう大人になってしまった今、子供に向って突き進むことは、 かなり重要なことだと、大人の頭で考えるわけです。